<   2012年 02月 ( 2 )   > この月の画像一覧

ふや町映画タウン

映画を観るなら京都へ留学せよ。 廣瀬純

 
映画を観るなら京都へ留学せよ。
京都「ふや町映画タウン」への緊急招待
廣瀬純

京都に来て3年が過ぎた。京都に来てやめたことがひとつある。それは映画のビデオを撮りためることだ。なぜか。京都には世界最強のレンタルビデオ店「ふや町映画タウン」があるからだ。

「ふや町映画タウン」はいつでもやっている。「いつでも」というのは言い過ぎではない。元旦も含めて一年365日、午後1時から夜中の12時まで「ふや町映画タウン」はつねに開いている。ツタヤだってそうじゃないかと言う人もいるかも知れない。たしかに。しかし、「ふや町映画タウン」は、大森さんがたった一人でやっている。それでもなお、年中無休なのだ。大森さんの日々の生活を少しでもいいから想像して欲しい。彼は映画とともに生きている、あるいはむしろ、映画を生きているのだ。

アルバイトでも雇えばいいじゃないか。そう言う人もいるかも知れない。それはできない相談だ、大森さんはそう答えるだろう。なぜか。なによりもまず、「ふや町映画タウン」へ足繁く通うお客さんの数が圧倒的に少ないからだ。ぼくがここでみなさんを「ふや町映画タウン」へ緊急招待している理由もそこにある。大森さんはよくこう言う。「京都の主要大学の1年生から4年生まで、各学年ごとに一人ずつお客さんになってくれる人がいれば、それで十分なのに。」大森さんによれば、一般の学生はおろか、近畿の名門諸大学で映画を専門に学んでいる大学院生ですら、ゼミで発表が当たってしまった作品を借りて返したら、その後、二度と来なくなることが大半だそうだ。そんな大学院生しか育てられない大学教員は自らの怠慢を徹底的に恥じるべきだろう。

「ふや町映画タウン」はアルバイトを雇わない。その理由は他にもある。大森さんは、その収入のすべてを新たなビデオの購入に充ててしまう。「ふや町映画タウン」が日本はおろか世界でも無比の圧倒的なビデオ収蔵量を誇るのはこれが理由だ。一度でもいいから「ふや町映画タウン」のホームページに掲載されたビデオ・リストを見てみて欲しい。大森さんは、とても清潔でありながら、いつも同じ服装だ。大森さんは冬の寒さも重ね着で乗り切る。大森さんは自分の食費すら最低限に切りつめている。心あるお客さんたちが彼にお弁当をもっていってあげているのだ。そして大森さんはひたすらビデオを買い入れ続ける。「ふや町映画タウン」の店内に堆く積み上げられた膨大なビデオを見よ。それは彼の「生」そのものなのだ。

「ふや町映画タウン」がアルバイトを雇わない理由はまだ他にもある。経営状態が芳しくないのなら、店番はアルバイトに任せて、自分はどこかよそに働きに出たらいいじゃないか。大森さんにそう進言する者もいるかもしれない。これに対する大森さんの答えははっきりしている。そんなことはできない。「ふや町映画タウン」の存在理由は、その膨大な収蔵リストをひたすら増やし続けることにこそ存しているのであり、それは自分にしかできない仕事なのだ。これが大森さんの答えだ。

「ふや町映画タウン」のビデオ・リストは日々増え続けている。それは他のレンタルビデオ店のように売れ筋の新作を何本も購入するからではない。「ふや町映画タウン」が従わないもの、それは資本のロジックだ。大森さんは、資本のロジックを完全に無視して、「働かない」ことが最初からわかっているビデオを、つまり剰余価値を生産しないことが最初からわかっているビデオを、次から次へと買い入れていく。大森さんの「生」の力動は、資本のドライヴに突き動かされたものではまったくない。純然たるシネフィル的欲動だけが、大森さんの「生」を、あるいは「ふや町映画タウン」をまるごと貫いているのだ。

「ふや町映画タウン」のビデオ・リストは日々増え続けている。「ふや町映画タウン」とは、世界の映画的記憶が、資本家からすればもはや「クソ」でしかないビデオが、日々蓄積され続けている唯一無比の場のことである。ホームページに掲載されたリストは、実のところ、そのほんの一部に過ぎない。大森さんは、映画を学びにフランスに留学したぼくに対して、次のようにすら言う。「映画を観にフランスまでわざわざ出かけることなんかなかったのに。」もっともだ。「ふや町映画タウン」の収蔵作品リストを前にしてフランスへの留学を後悔したのは、ぼくだけではないだろう。「東京に映画を観に行こうと言うのなら、夏休みでもなんでも利用して、京都に映画を観に来ることがあってもいいじゃないか。」大森さんはそう言ってもいる。

ぼくは、蓮実重彦の直接の弟子でもなんでもないが、蓮実の著作によってとてつもなく強力に誘われ映画を観ることになった者の一人ではある。もう15 年以上も前にぼくが感じた映画へのあの圧倒的な磁力を、ぼくに再び思い出させたのは「ふや町映画タウン」であり、大森さんである。蓮実の著作を読み返すことによってすら感じ得なくなっていた、あの義務感にも似た「映画を観なくちゃ何事も始まらない」という圧倒的な感覚を、ぼくは大森さんとの出会いによって初めて思い出した。大森さんが蓮実のまねごとを言っているとか、そういう次元の話ではまったくない。映画を生きる、あるいはむしろ、ただひたすら映画だけを生きる大森さんの「生」の圧倒的な存在感が、つまり大森さんの「映画=生」が、蓮実のどんな著作にも勝る強度をもって、ぼくを触発し続けている。あの便利なレンタルビデオ屋が京都から消えては困る。そんな打算的な思いだけで、この文章を書いているわけではまったくない。なによりもまず、大森さんの「映画=生」によるとてつもなく強力な触発によって、ぼくはこの文章を書かずにはいられないのだ。

資本のロジックにとことんまで逆らう「ふや町映画タウン」は、多かれ少なかれ市場原理に毒されたどんな公立図書館・ミュージアムにもまして、真の「共=コモン」の場となっている。「ふや町映画タウン」は、まさに「コミュニズム」の場なのだ。だからこそ、「愛」を必要としている。「コミュニズム」は、カネに立脚していない以上、「愛」だけをその糧とする生き物なのだ。この文章を読んでくれているみなさん一人一人の「愛」を「ふや町映画タウン」は必要としている。しかも緊急に。みなさんが多かれ少なかれ映画を愛しているのであれば、それぞれのもてる度合に応じた量でまったくかまわない、どうかその「愛」を「ふや町映画タウン」に注ぎ込んで欲しい。いま、少なくとも日本において、みなさんの映画に対する「愛」を誰よりも必要としているのは「ふや町映画タウン」をおいて他にない。近畿に住む者は直ちに、近畿以外の地域に住む者はこの夏休みに、「ふや町映画タウン」に駆けつけて欲しい。

ふや町映画タウンHP http://dejan.dyndns.tv/f_eigatown/
[PR]
by f_cinemaclub | 2012-02-06 15:37 | 情熱

胡新宇という男

引用先
ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジンneoneo 119号 2009.3.1

02┃□ワールドワイドNOW ≪北京発≫
┃ ┃■極私的ドキュメンタリー
┃ ┃■前田 佳孝
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

昨年の10月に胡新宇(フー・シンユィ)が僕の家に泊まりに来た。胡新宇は北京大学の新聞学部で行われるドキュメンタリー映画の講座に講師として招かれていて、僕はその撮影を手伝ってくれと頼まれた。もちろん友人である胡新宇の頼みなのですぐに引き受けたが、ただ講義の内容を撮影するだけにとどまらない事など先刻承知済みである。講義の内容は「アンダーグランド精神」ということで、マルキド・サド、ロラン・バルト、ニューヨークのアンダーグランド映画作家の映像を引き合いにだし、何故創作活動を続けるのかというテーマで胡新宇自らの経験と折り重ねての非常に興味深い内容であった。講義の中盤、「本題から外れるが」と前置きをして語った彼のエピソードがとても印象に残っている。普段は山西師範大学で教師の仕事をしている胡新宇だが、教壇立つときはおならをしたくても我慢をするのだという。ある日、授業中にどうしてもおならを我慢できなくなった胡新宇は少し用事があるのでと言い、席を外しトイレに行ってからおならをしたのだ。新聞学部のクラスの9割ほどは女の子だったのだが、このエピソードには教室が爆笑に包まれた。胡新宇曰く、自分が教えている大学では生徒の前でこのようなことは決して話せないが、ドキュメンタリー映画という個人的な行為に於いては何でも構わずに記録することができる。世間体や周りの意見を気にせずに、自分の好きなものを記録していくということで、普段は体裁を気にする一大学教授でも、DVを持てば一人の創作者になることができる。なぜサドが監獄に入ってから創作活動を始めるようになったのか?
それは世間から開放されて始めて知る自分の欲望に誠実になることができたからとの言葉には胸を突かれた。

講義は終始笑い声に包まれ、参考映像として流された胡新宇の作品『男人』を織り交ぜて胡新宇の経験談が語られていく。最後は講義前夜に僕と胡新宇の二人でも討論をしたジャ・ジャンクー問題を俎上に上げ締めくくることになった。なぜ今のジャ・ジャンクーの作品は面白くないのか?ズバリ言えばジャ・ジャンクーは「アンダーグランド精神」を忘れてしまったのではないかという問題提起である。

講義を終え、僕の家に戻ってからも胡新宇はなんだか物足りない感じで、DVを持って僕のことを撮り始める。僕は自由にやってくれとはおもっていたものの、だんだんと鬱陶しくなってくる。ネットを見ているとき、ゲームをしているとき、テレビを見ているときから、風呂に入るときまで何でもかんでも絶えず回しているのだ…。
さすがに気になるので、そんなもの撮ってどうするんだと聞くと、撮りたいから撮っていただけと返事が返ってくる。それじゃあ、あまりにも訳が分からないので、この素材はどんな作品に使うのかと聞くと、今撮っているものはまとまりがなくて、自分でもどう編集したらいいか分からないとのこと。だったら無駄に撮らずに少し休めばいいじゃないかと言うと、そうじゃないと答えが返ってくる。彼がふと語った「どんな映像でも20年後に振り返ってみれば感じるものがあるかもしれないだろ?」との言葉には非常に感動した。僕自身の事で言えば、ずっと撮り続けていた中
国のドキュメンタリー作家たちもただただ目の前の人物、出来事に心動かされ、気づいた時にはDVを持って撮っていたのである。なんだ同じことじゃないか。

その後、家にいるのも退屈だから外に出て酒でも飲みにいこうとの言葉に誘われて出たのだが、結果、まんまと胡新宇に乗せられてしまった。あまりよく覚えていないのだが、腹の立つ大学の先生を一通り罵ってみたり、寂しいから彼女が欲しいなどとぼやいていたような気がする。ほかあまり文面ではいえないようなことも言ってしまったような…。胡新宇にはその一部始終撮られてしまったのだ。
あんな失態を撮られてしまったとはいえ、胡新宇の初恋の物語など聞けたのでよしとしよう。



■前田 佳孝(まえだ・よしたか)
1984年生まれ。高校卒業後映画美学校入学。王兵の『鉄西区』に影響されて中国へ留学を決意。二年間の語学勉強の後、北京電影学院に入学、監督科に在学中。
[PR]
by f_cinemaclub | 2012-02-05 22:14 | 映画


FCCのブログです。


by f_cinemaclub

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
情熱
映画
未分類

以前の記事

2016年 01月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 10月
2011年 09月

人気ジャンル

最新の記事

詩作品 独島と竹島
at 2016-01-25 18:56
改称
at 2013-01-20 19:30
吉田省吾
at 2013-01-20 16:57
みっちん
at 2013-01-20 14:28
2013年、1月、京都精華大..
at 2012-12-14 22:27
2012年、11月と12月、..
at 2012-10-30 19:55
『ダダッ子貫ちゃん』
at 2012-10-30 19:54
『PACE』6号 特集「洛北..
at 2012-10-30 19:54
2012年、10月、大阪・京..
at 2012-10-23 13:43
Fuck Cinema
at 2012-09-20 12:54
2012年、9月、京都初上映会
at 2012-09-15 04:55
第三信
at 2012-09-03 19:48
新感覚朗読ロードムービー『反..
at 2012-09-01 05:07
らも。
at 2012-05-27 09:55
雨と子犬
at 2012-04-04 18:37
伊丹万作氏のことば(プロの人..
at 2012-04-03 21:32
フィルムだけが武器だ。
at 2012-04-02 22:39
ふや町映画タウン
at 2012-02-06 15:37
胡新宇という男
at 2012-02-05 22:14
映画にとって理論とはなにか
at 2012-01-29 13:30

画像一覧