ふや町映画タウン

映画を観るなら京都へ留学せよ。 廣瀬純

 
映画を観るなら京都へ留学せよ。
京都「ふや町映画タウン」への緊急招待
廣瀬純

京都に来て3年が過ぎた。京都に来てやめたことがひとつある。それは映画のビデオを撮りためることだ。なぜか。京都には世界最強のレンタルビデオ店「ふや町映画タウン」があるからだ。

「ふや町映画タウン」はいつでもやっている。「いつでも」というのは言い過ぎではない。元旦も含めて一年365日、午後1時から夜中の12時まで「ふや町映画タウン」はつねに開いている。ツタヤだってそうじゃないかと言う人もいるかも知れない。たしかに。しかし、「ふや町映画タウン」は、大森さんがたった一人でやっている。それでもなお、年中無休なのだ。大森さんの日々の生活を少しでもいいから想像して欲しい。彼は映画とともに生きている、あるいはむしろ、映画を生きているのだ。

アルバイトでも雇えばいいじゃないか。そう言う人もいるかも知れない。それはできない相談だ、大森さんはそう答えるだろう。なぜか。なによりもまず、「ふや町映画タウン」へ足繁く通うお客さんの数が圧倒的に少ないからだ。ぼくがここでみなさんを「ふや町映画タウン」へ緊急招待している理由もそこにある。大森さんはよくこう言う。「京都の主要大学の1年生から4年生まで、各学年ごとに一人ずつお客さんになってくれる人がいれば、それで十分なのに。」大森さんによれば、一般の学生はおろか、近畿の名門諸大学で映画を専門に学んでいる大学院生ですら、ゼミで発表が当たってしまった作品を借りて返したら、その後、二度と来なくなることが大半だそうだ。そんな大学院生しか育てられない大学教員は自らの怠慢を徹底的に恥じるべきだろう。

「ふや町映画タウン」はアルバイトを雇わない。その理由は他にもある。大森さんは、その収入のすべてを新たなビデオの購入に充ててしまう。「ふや町映画タウン」が日本はおろか世界でも無比の圧倒的なビデオ収蔵量を誇るのはこれが理由だ。一度でもいいから「ふや町映画タウン」のホームページに掲載されたビデオ・リストを見てみて欲しい。大森さんは、とても清潔でありながら、いつも同じ服装だ。大森さんは冬の寒さも重ね着で乗り切る。大森さんは自分の食費すら最低限に切りつめている。心あるお客さんたちが彼にお弁当をもっていってあげているのだ。そして大森さんはひたすらビデオを買い入れ続ける。「ふや町映画タウン」の店内に堆く積み上げられた膨大なビデオを見よ。それは彼の「生」そのものなのだ。

「ふや町映画タウン」がアルバイトを雇わない理由はまだ他にもある。経営状態が芳しくないのなら、店番はアルバイトに任せて、自分はどこかよそに働きに出たらいいじゃないか。大森さんにそう進言する者もいるかもしれない。これに対する大森さんの答えははっきりしている。そんなことはできない。「ふや町映画タウン」の存在理由は、その膨大な収蔵リストをひたすら増やし続けることにこそ存しているのであり、それは自分にしかできない仕事なのだ。これが大森さんの答えだ。

「ふや町映画タウン」のビデオ・リストは日々増え続けている。それは他のレンタルビデオ店のように売れ筋の新作を何本も購入するからではない。「ふや町映画タウン」が従わないもの、それは資本のロジックだ。大森さんは、資本のロジックを完全に無視して、「働かない」ことが最初からわかっているビデオを、つまり剰余価値を生産しないことが最初からわかっているビデオを、次から次へと買い入れていく。大森さんの「生」の力動は、資本のドライヴに突き動かされたものではまったくない。純然たるシネフィル的欲動だけが、大森さんの「生」を、あるいは「ふや町映画タウン」をまるごと貫いているのだ。

「ふや町映画タウン」のビデオ・リストは日々増え続けている。「ふや町映画タウン」とは、世界の映画的記憶が、資本家からすればもはや「クソ」でしかないビデオが、日々蓄積され続けている唯一無比の場のことである。ホームページに掲載されたリストは、実のところ、そのほんの一部に過ぎない。大森さんは、映画を学びにフランスに留学したぼくに対して、次のようにすら言う。「映画を観にフランスまでわざわざ出かけることなんかなかったのに。」もっともだ。「ふや町映画タウン」の収蔵作品リストを前にしてフランスへの留学を後悔したのは、ぼくだけではないだろう。「東京に映画を観に行こうと言うのなら、夏休みでもなんでも利用して、京都に映画を観に来ることがあってもいいじゃないか。」大森さんはそう言ってもいる。

ぼくは、蓮実重彦の直接の弟子でもなんでもないが、蓮実の著作によってとてつもなく強力に誘われ映画を観ることになった者の一人ではある。もう15 年以上も前にぼくが感じた映画へのあの圧倒的な磁力を、ぼくに再び思い出させたのは「ふや町映画タウン」であり、大森さんである。蓮実の著作を読み返すことによってすら感じ得なくなっていた、あの義務感にも似た「映画を観なくちゃ何事も始まらない」という圧倒的な感覚を、ぼくは大森さんとの出会いによって初めて思い出した。大森さんが蓮実のまねごとを言っているとか、そういう次元の話ではまったくない。映画を生きる、あるいはむしろ、ただひたすら映画だけを生きる大森さんの「生」の圧倒的な存在感が、つまり大森さんの「映画=生」が、蓮実のどんな著作にも勝る強度をもって、ぼくを触発し続けている。あの便利なレンタルビデオ屋が京都から消えては困る。そんな打算的な思いだけで、この文章を書いているわけではまったくない。なによりもまず、大森さんの「映画=生」によるとてつもなく強力な触発によって、ぼくはこの文章を書かずにはいられないのだ。

資本のロジックにとことんまで逆らう「ふや町映画タウン」は、多かれ少なかれ市場原理に毒されたどんな公立図書館・ミュージアムにもまして、真の「共=コモン」の場となっている。「ふや町映画タウン」は、まさに「コミュニズム」の場なのだ。だからこそ、「愛」を必要としている。「コミュニズム」は、カネに立脚していない以上、「愛」だけをその糧とする生き物なのだ。この文章を読んでくれているみなさん一人一人の「愛」を「ふや町映画タウン」は必要としている。しかも緊急に。みなさんが多かれ少なかれ映画を愛しているのであれば、それぞれのもてる度合に応じた量でまったくかまわない、どうかその「愛」を「ふや町映画タウン」に注ぎ込んで欲しい。いま、少なくとも日本において、みなさんの映画に対する「愛」を誰よりも必要としているのは「ふや町映画タウン」をおいて他にない。近畿に住む者は直ちに、近畿以外の地域に住む者はこの夏休みに、「ふや町映画タウン」に駆けつけて欲しい。

ふや町映画タウンHP http://dejan.dyndns.tv/f_eigatown/
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by f_cinemaclub | 2012-02-06 15:37 | 情熱


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